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risette15周年対談再掲載(モリノ×YKO) |
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※この対談は2010年3月、risette15周年を記念して再発されたコンプリートベストアルバム「Compact Snap!」の初回限定盤に掲載されたものです。
結成以来15年になるバンドの歴史をふり返るとともに、今回の2枚のCDの内容と絡めて、今まで語ってこなかったrisetteの制作秘話などを、ライナーノーツというカタチで少し紹介しようと思います。
バンドを近い位置から見ていた人物として、多くのrisette関連のデザインを手がけてくれてたYKO(you & me together)を聞き手に対談形式にしてみました。
(YKO)■進行上、お互いにちょっと改まった会話/文章になっちゃうと思うんですが、別にそういう間柄ではないんだよね。
(risetteモリノ)「僕らはこういうCDライナーノーツの文章を隅のほうまで読んだりするのが好きだったから、そんな思い入れもあって、じっくり読んでくれてる人が楽しめるような構成にしようかな、と思って。」
■とりあえず、今までもインタビュー等で何度か語ってきたとは思うけれど、risetteの結成当時のいきさつをもう少し掘り下げて話してもらいたいんですよね。『大学のサークル内で結成』というのが公式プロフィールで、まぁ私も1学年下の後輩としてそこに居たんですが、大学のバンドサークル、というのがちょっと雰囲気を想像しにくい人もいるんじゃないか、と思って。あるいは、なんかいろいろ情報を集めたりして、特殊なサークルだったんじゃないかと、過度な幻想をもたれたり…。
「他にもたくさん音楽サークルはあったけれど、比較してみると音楽に対して良くも悪くも真面目に接しているサークルという感じがしたかな。それは入ってから引退するまで印象は変わらない感じだった。でもたぶんそこに身を置いて過ごしていたからであって、一般的にはどこにでもあるような音楽サークルだった…よね?」
■そうですよね。すごくカンタンに説明しちゃうと、そのサークルというのは、定期的にバンドを作って発表するようなシステムになっていて、続くものもあれば、一回だけのこともあるし、誘ったり誘われたりしながら、みんな常にいくつか掛け持ちしてる状態で。だから『結成』といってもバンドは年に何個も結成してるのよ(笑)。ただ、もちろん各自が一番力を入れるバンドはあるんだよね。いわゆる“マジバン”(笑)。
「マジバンをどこで組むか、みたいなのはあったよね(笑)。でも“マジバン”といってもプロでやっていくみたいな雰囲気のものじゃなかったし。僕自身も大学生活を楽しむために音楽サークルへ、というのがあったけれど、最初にやってたrisetteの前身バンド――これは自分でオリジナル曲を作ってた女性ボーカルのバンドという意味で――をふまえたうえで、ある程度戦略的に結成したところもあったなあ。」
■その前身バンド、僕は見たことないんですけど、メンバーも全員違ってたんでしたっけね。それで、risetteを戦略的に結成した、というのは?
「1年目に同期とか他にもいろいろな人と組んでみたけど、このメンバーならやりたいことを実現できそうだと思ったんだよね。そうはいっても、最初の夏合宿で常盤さんがキャロル・キングのコピーを歌ってたのを聴いたのが衝撃だったからなんだけど。それが結成への直接のインスピレーションでもあったし、やっぱり歌声によるところは大きいな。」
■常盤さんをボーカルにして、その声を活かせるバンドメンバーを集めた、という感じですかね。常盤さんの歌はもちろんrisetteの一番の特長だとは思うんですけど、今回ベスト盤のほうをあらためて聴いてみて、初期risetteのサウンドは、金子さんのキーボードがかなりの部分を担ってたという印象を受けたんですが、当時の曲づくりはどういう感じでしたか?
「当時は、メンバーにデモテープを聴かせる段階でメロディと曲の構成は先に決めてあったけど、アレンジというか、各自のパートはそれぞれにおまかせって感じで作ってた。たしかに金子さんのキーボードが決まったところでようやく曲として動き出してたね。スタジオに練習に入ってから『今日は(自分のフレーズが)出来てないから何も弾きません』と言われたりしたこともあってね。それじゃ進まないし、ちょっとくらいコード弾いて合わせてくれてもいいじゃん!って思ってたけど、それは良いものを作ろうというよりは、単にバンドで音を合わせてることに(僕が)1人ではしゃいでるってだけでもあったよね、反省(笑)」
■ベースの飯嶋さんは、グルーヴというよりメロディアスなベースラインを弾くタイプでしたね。
「飯嶋は入ったときから新入生のリーダー的存在で目立ってたよ。僕は入学当初、別のサークル(※落語研究会)のほうに熱心だったんで、5月になってようやくこっちのサークルに出入りする頃には、飯嶋はもう先輩とバンド組む話をしたりしていてちょっと眩しかった(笑)。Killer(※楽器メーカー)のベース使ってて、X JAPANファンというのがなんとも取っ付きにくかったんだけど(笑)、あのメロディアスなラインはそこに由来してたんだろうね(笑)。実はrisetteの初期のバンマスは飯嶋だったんだけど、とにかくバンドの中にいてもらうことでの安定感と信頼があったな。」
■ドラムの杉山さんは、手数が多いタイプのドラマーで。ロックっぽいのからソウルっぽいのまで、サークル内ではひっぱりだこでしたけど、risetteでもその持ち味を発揮してますよね。
「杉山は(サークル内の同期に)ドラム経験者が少ない中では、やっぱり群を抜いていて。一緒にやるからには企画もののコピーバンドとか、適当には組みたくないという想いがあったかな。サークル内でも“マジバンをやるなら杉山”という風潮があったりもしたよね(笑)。ドライな一面があるけれど、納得すればNGがほとんどないというのも、良い意味で気を遣わなくて済んだ、というか甘えさせてもらったね。ゲームでrisetteを知ってくれた人にはお馴染みかもしれない、“ギラギラ”のドラマーでもあるんだよね。」
■僕から見た常盤さんの最初の印象は、ステージに立った時のたたずまいが独特…というか、雰囲気があるなぁ、と思ってました。自然に一目おかれる存在、という感じでしたし。
「最初の印象はすごくかわいらしいイメージだったな、小さく見えたんだよね(笑)。今のような風格というかオーラが出てきたのはいつ頃だろう、最初に学外でライブをやった(97年)ときにはその片鱗はあったような気がするけど。僕にとっては周囲から見た(常盤さんとの)近すぎる部分と、実際の距離感をうまく自分の中で消化できないジレンマみたいなのがずっとあって、でもそういうことに時間を割くのですら楽しいことだと思うようにしてた(笑)。僕は裏方志向でしかバンドの動きを考えていなかったから、プレイヤーとしてステージングとかそういう面で疎かになってた部分が多々あったんだけど、それに対して常盤さんはステージ中央でずっと堂々と歌い続けていた、というのがrisetteが今もある最大の理由だと思ってるね。いろいろぶつかったり悩んだりして曲が出来なくてスタジオがうまくいかなくても、レコーディングで常盤さんの歌声が吹き込まれると面白いほど全身が弛緩する。ノロケみたいだけど、この感覚のためにやってるという感じ(笑)」
■そんなメンバーそれぞれの音楽的な引き出しから、risetteというバンドに合わせたモノを出しあっていくことで当時の曲はできてた、ということですね。それで、曲も増えていって、サークル内での評判もよく、いよいよライブハウスに出て行く、という段階が来ますね。もちろん僕も期待してたんですけど。
「ちょうど1学年下の後輩たちが入ってきた頃から、サークル内の活動より、外のライブハウスに積極的に出て行くバンドが増えていってたんだよね。risetteのライブは1回ごとに確実にステップアップしていきたい、と思ってたから、イベント内容とライブ間隔には気を遣ってた。今となっては、ライブの数をこなすことも重要だと思ってるけど(笑)」
■90年代後半の、インディーズブームみたいな時代の空気も、かなりあったと思うんですよね。
「ライブハウスの現場ではすごいすごいと思ってるバンドでも、周りの音楽関係以外の人に話すと誰も知らなかったり、地元のレコード屋には置いてなかったりする。自分が見ているのは音楽業界のほんの1シーンなんだと理解するのに時間がかかったよね。」
■そうですね。でもそこの壁を超えていくようなものもいくつかあったし、それは目撃者として面白かったですけど。
「情報も当時はパソコンや携帯で広がるものではなかったから、足を運んで目で見たものを少しずつ蓄積していって。これはいい!と思ったものが雑誌で取り上げられていると、答え合わせができたとか喜んだりして。でもそういうのはバンド組む以前からリスナーとしてCDやレコードを買うときにもあったことだからね。確かな情報はないけどジャケや参加アーティストのクレジットを見て買うことにワクワクしたりして、あれは取捨選択能力を磨かれたと思うな。かなりの授業料を払ったおかげで(笑)」
■情報の収集の仕方は今よりずっと地道でしたね。だから今以上にローカルなネットワークは大事で。自分たちでもイベントやったりしてたし、そういう場で出会ってから繋がっていくのが当たり前だった。risetteも、自主制作のカセットテープ作った後はイベントによく誘われてたよね?
「risetteは当初イベントに誘われても、すぐにライブをやるという気にはなれなかったんだよね。当時は別のバンドでかなり精力的にライブやってたので正直余裕もなかったというのもあるんだけど、余裕がないのに自分のバンドを動かすのも嫌だったし。だから戦略的にというよりは消極的に見据えてた感じだよね(笑)」
■自主イベントから初めて、4度目のライブが98年3月の、7インチ『rain/wander』のレコ発ですが、なんと新宿JAMが超満員に(笑)。お客さんが受付まで溢れてたのを憶えてるんだよなぁ。たしかに、今思えば思いっきり最小限の回数ですね。
「対バンの力もかなりあったよね。レコ発なのに、肝心の7インチも出来てなかったなんてハプニングもあって(笑)。でもこのライブで知名度が上がってやりやすくなったと思う。」
■そこからはわりとライブは定期的なペースでしばらく続きましたね。
「98年から00年くらいまでの間は音楽をやっていくうえで漠然と境界上にいるなあと感じてた頃で、ほんの一瞬だったけどライブがすごくよかった時期があった。実際お客さんもライブやるごとに増えていくのが実感できて。あと、ちょうどこのあたりで現在はメンバーになっているtsugaiがサポートギターとして加入するんだけどね。」
■tsugaiくんは僕の同学年で、入学以来の長いつきあいなんですが、広くて柔軟な音楽性をもってるし、演奏もエンジニア的な作業もこなせるし、性格も穏やか、という好人物で。ただし、ギタリストとして見たときには、モリノさんとはけっこう違うタイプですよね?まぁテレキャス使ってるし、背格好も似てるんで紛らわしいみたいなんですけど(笑)
「2年になって、サークルの新入生としてYKOやtsugaiが入ってきたころ、知らない1年生に、ものすごく馴れ馴れしく『お前、昨日飲み会来てたよな?』みたいな感じで話しかけられて。何のことだろう?とキョトンとしてたら『覚えてないのかよ!?』ってちょっと不機嫌そうにされてどっか行っちゃって。どうやらtsugaiと間違えられてたんだよね。そんなに似てるとは思ってなかったけど、それ以来意識するようになったよ(笑)」
■ははは。そのtsugaiくんと僕はyou&me togetherというバンドのメンバーでもあって…。you&meについては、risetteとメンバーが若干(笑)重なってることもあって、なにか不穏な動き(?)に見えるかもしれませんけど、成り立ちも歴史も、けっこう違うバンドなので、こんなのもあるのかー、くらいに思ってくれればいいです。
「you&meは元々、影彦てのが首謀者でさ。彼とは学生の時にずいぶん一緒に日雇い労働やってて待ち時間とか移動時間とか結構あったんだけど、音楽の話はほとんどしなかったなあ(笑)。お互いに関わってはいけないという暗黙の了解があったような気もするしね。ただ今はメンバーもちょっとずつ変わって独自の不穏な動きを見せているよね(笑)。それでアルバムももうすぐ出来るんでしょ?これを手に取った人には是非聴いてほしいと思うよ、宣伝しとかないと!(笑)」
■うーん、risette以上にマイペースなので、活動があまり見えてこないと思うんですが、もうすぐアルバム出しますので機会があれば聴いてみてください。びっくりするかもしれませんが(笑) ――さて、tsugaiくんがサポートで関わりはじめた時期と前後して、メンバーが卒業・就職で忙しくなってきます。これはサークルで結成されたバンドの宿命だと思うんですけどね。いきなり1年半も活動が途切れることになって。
「『your own sweet way』は97年から録りはじめてたんだけど、結局3年かかって、最後の方はひとりで完成させて、発売が2001年。その時期にプロモーションとしてのライブはほとんどできなかった。レーベルにも申し訳なかったよね。」
■実質、タワレコ新宿店でのインストアだけでしたからね。それも1年半ぶりの演奏で。当時インストアライブっていう形式もまだ珍しかったのもあって、メンバーもおっかなびっくり、という感じだったような…。今になって思うと、バンドを続ける上で、やっぱりここらへんで意識を切り替えるべき時だったんでしょうね。
「うん、活動していくうえでの“プロ意識”の問題は昔も今もずっと悩んでいたりもする、進んだり後退したりしながら。」
■そういう活動形態の模索もあったとは思うんですが、2003〜2004年はふたたび精力的にライブをやってます。地方でのライブもこの頃から少しずつ行くようになって。
「名古屋とか大阪とか沖縄も行ったね、皆で首里城観光したりして(笑)。でも遠征ライブは全部で5、6回くらいかな、遠征となるとやっぱりガツガツした感じがないと他のバンドに負けてしまう感じがあってね、あまりやらなくて正解だったと思うよ。2年前に京都でやったアコースティックワンマンはゆるい雰囲気で甘えさせてもらって最高だったもん(笑)」
■よくも悪くも、戦略的に(選んで)ライブをやっていくというのはその後も徹底してますよね。なにかしら話題性があったり、冠のついたイベントだったりして。一方で、足繁くライブハウスやレコード屋に行って営業しながら交流を広げたりもして、ライブシーンにも再び踏み込みはじめたという感じもしていたと思うんですが。
「この頃にFUTABA MUSICというレーベルを立ち上げて、自主制作でシングル3部作をリリースしようとしてたんだけど、最初の『baby pink』を出しただけで計画倒れになってしまった。これはマズイな、と思って離れていたシーンへ積極的に足を運ぶようにはなったよね。そういったシーンに触れているうちにやっぱりrisetteもライブならではのバンドを目指そう、と思い始めたんだよね。それがサウンド面での変化にもなったかもしれないな。tsugaiにアレンジャーとして大きく託していく部分を作ったりして。」
■その結果が2004年のメンバー再編成ですね。それまでもヘルプだったり、流動的なメンバーでライブをやったりはしてたと思うんだけど、そういうのも全部はっきりさせて。
「以前のrisetteはアンサンブルで作るバンドで、このあたりから歌手、コンポーザー、アレンジャーの役割をハッキリさせていこうと意識した感じだよね。あつは元々音楽家として生きていく指針がはっきりしていたし、あとはライブシーンへの営業力としても期待してたところがあったな。あんなに人なつっこく、懐に入っていく感じは僕には全くないのでね(笑)。でも僕としては英断をしたと思っていてもそんなに変わったようには感じないんだよね、元々がゆるやかに動いているバンドだったので。」
■そこらへんは今の作品とこの初期の作品を聴きくらべてもらえばわかると思います。ただ、長く続けていく中、必然的な流れとして、バンドの形態は変わってきたけれども、常盤さんの声と、森野さんのメロディ、というのは一貫してると思うので、今回のCDで初期の曲を初めて聴いた人も、バンドの歴史として楽しんでもらえるんじゃないかと思いますね。
「僕が音楽を始めようと思ったのはスタイル・カウンシルという80年代にイギリスで活動していたユニットを聴いたのが始まりだったんだけど、彼らは文字通り音楽スタイルをカウンシル(評議)する作品を作っていた。これを聴いたときに僕は音楽の作り方というか、自分なりにひとつの方法論を発見してしまった気がしたのね。だからrisetteも常盤さんの歌声というパーソナルカラーを、様々なスタイルで模索して、過程を楽しむというのがずっと変わらないコンセプト。もちろんその時々に聴いていた音楽に影響は受けていたりもするんだけど、曲作りのスタンスとしては批評をしながらインプットとアウトプットの繰り返しという感じで、だから本当は様々な音楽が出たり入ったりしていると思ってもらいたい。」
■今回の再発CDを買ってくれる人には、以前のCDがすでに廃盤になってからrisetteを知った人、常盤さんのゲームミュージックでの活動がきっかけだったりするわけで、比較的若いファンが多いんじゃないかとも思うんですが、そういう方たちに向けて、こういう聴き方をしてほしい、みたいなのはありますか。
「僕自身がそうであったように、例えばrisetteをきっかけにして、もっと掘り下げて幅広い音楽を聴いてもらえたらいいな、というのは昔から思ってるので、今回のCDの中でも好きな曲が見つかれば、そこからさらに繋げていってほしいかな。これパクリじゃん!とかで盛り上がるのも楽しいと思うんですよ、答え合わせは不要だと思いますが(笑)」
■さて、そろそろまとめに入りますか。今回、ベスト盤とレアトラック集を出すことになった経緯については。
「(Amazonの)マーケットプレイスとか、ヤフオクとかで、中古価格がけっこうな値段になってるのを見かけると、買う人いるのか?とか申し訳ないなぁ、と常々思ってたんだよね。でも元のレーベルは消滅しちゃってたので、原盤権の問題で再発はできそうにないし、出すとしたら再レコーディングしかないんだけど、それがどのくらい意味のあることなのか、とかずっとモヤモヤ考えていて。そんな折、最近のTwitterブームのなかで、廃盤のアルバムを高いけど買うとか買えない、というのを偶然目にしてしまって(笑)。リアルな声を聞いていくうちに、自分を追い込んでいく意味で、Twitter上で『再発プロジェクト』と銘打って、再発を目指します!と初めて(対外的に)宣言してみた。これはTwitterというメディアに個人的にも興味があったので、自分が面白がれるプロジェクトにもなりそうだと思ったところが大きいね。実現に向けていろいろ動いてみて、それでもダメならきっぱり諦めます、と言い訳までしてたから気楽な部分もあったしね(笑)」
■その経緯を見てくれてた人には、最初の宣言から発売まで、かなりスピーディというか、スムーズにいったように見えたと思いますが、スケジュール的にはほんとに大変だったんですけどね。
「それは諸々の作業を担当したYKOが一番わかってると思うけど(笑)。でも、ベスト盤やレアトラック集を出すことは、いま現在のrisetteの活動からは外れてきちゃうから、ある程度、独立プロジェクトというか、期限を決めて、勢いでやっていくのがよかったのかな、とは思うよ。あとはやっぱり、Twitterで生の声がきけたのは本当に励みになった。」
■2010年現在のこの状況があったからこそ、の再発ですもんね。で、同時発売のレアトラック集のほうも、今回やっと陽の目を見た音源が多数収録されてますね。
「お互いのハードディスクを検索したらいろいろ出てきたね(笑)。studio demoとして収録した『水玉のエチュード』『probably lovely deadlock』は、前述のシングル3部作で『baby pink』の後に続く予定だった幻のシングルで、その時のセッションだよね。結局このテイクはお蔵入りになって、いったん白紙に戻してから、2008年に出たアルバム『risette』ではアレンジを変えつつ録りなおしたよ。あとは、新録として、今回のCDのためにremixを半ば無理やりにお願いしたんだけど、時間の制約がある中、みなさん快く引き受けてくれたので本当に感謝してます。」
■じゃ、最後に今後の目標をどうぞ。
「10年のときにはワンマンやったし、15年はこのベスト盤とレアトラック集を出したんで、20周年には、これまでのメンバー全部集めてお祭り的なイベントでもやろうと思ってるよ。いかにも対談を締めくくる言葉っぽいでしょ(笑)」
■あと5年なんて、すぐ来そうですね。でも結成20年となると、さすがに重みがあるなぁ。
「長く続けるのは大変だけど、僕らの場合はマイペースだしね。正直なところ、辞めどきを失ったと感じたときもあったけれど、続けていれば何かを発信し続けられるし、どんな評価を受けようがこっちは辞めてない!て想いも覚悟もあるからね。だから(長く続けていることも)活動のモチベーションになってたりするし、今さらどのタイミングで辞めるのかもわからないね(笑)。そもそもこんな長い対談を最後まで読んでくれてありがとう、だよ。また要望あったらやろう、20年目のときはrisetteとyou&me togetherの企画盤アルバムでも作ってさ!」
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